香椎を知ろう!

大変長らく発信が出来ておりませんでした。
皆さまこのコロナウイルス禍でどの様にお過ごしでしょうか。
第二波が拡大しており、春よりもコロナウイルスが身近に迫って来ている事を実感しています。
しかし、コロナウイルスは3密を回避してマスクを付け、こまめに手洗いうがいをすれば感染リスクはぐんと下がります。油断せずに日々警戒心を持って過ごしましょう。

このコロナ自粛期間中は時間に余裕があったので、読書をする機会が増えました。
今読んでいる本がこちら。
明治天皇の玄孫で、テレビコメンテーターとしても有名な竹田恒泰先生が日本で最初の歴史書である古事記を分かりやすく現代語に訳してくれた本です。
学生時代に古事記という名前だけは皆さん習ったと思いますが、中身はどんな事が書かれているかご存知ですか?
この国に三柱の神が高天原に成り、その後神世七代と言われる七代の神が成ります。その中の伊邪那岐神と伊邪那美神が日本の大地を生んでいきます。そして伊邪那美神は皆さんご存知の天照大御神や建速須佐之男命をお生みになり、この二柱の神の子孫が初代神武天皇となるわけです。そこから各天皇の話になります。
ここで、是非読んで頂きたいのが第十四代仲哀天皇と第十五代応神天皇の話。
そう、香椎宮に祀られている天皇の話です。

そもそも、香椎宮には仲哀天皇とその皇后である神功皇后、このお二人の息子の応神天皇。そして大住大神が祀られています。
この仲哀天皇は訶志比宮で天下を治められました。
そう、香椎は昔は訶志比や橿日と書いていたんですね!
この仲哀天皇は神より「西の国を帰服させよ」と告げられます。つまり朝鮮半島を攻めろと言う事です。
しかし仲哀天皇は高いところより海を眺め、西には大海があるだけだと言って乗り気ではありませんでした。
すると神の怒りに触れて呪い殺されてしまいます。
そして神は妻である神功皇后に改めて西へ攻め、さらにそのお腹にいる子供がこの国を治める事を告げました。
そして神功皇后はその言葉に従い朝鮮半島に渡り新羅を攻め、百済を朝廷の御料地としました。
帰国後神功皇后は後の応神天皇をお生みになるのですが、その生まれた地が宇美という地名で今も残っている事はご存知の方も多いですよね。
現在の歴史では第十六代仁徳天皇より以前の十五代までは実在したかどうか分からない天皇と言われていますが、個人的には実在して実際に朝鮮にも攻めたのではないかと思っています。
日本の様に長い歴史を持った国は世界中探してもどこにもありません。
中国4千年の歴史とか言われますが、中国は王朝が変われば文化も変わります。この様な大変貴重な国で、しかも最初の歴史書に登場する香椎にいるのですから、是非その歴史を探訪してみてくださいね!

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